トピックス     2008.12 〜 2009.1

  「年越し派遣村」「村民」集会
  衣食住・雇用確保
など
緊急特別立法要望!

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 「派遣切り」 「期間工切り」 などで仕事も住まいも奪われた労働者らを支援するため、市民団体や労組が実行委員会をつくり、東京・日比谷公園に開設した「年越し派遣村」は1月4日、「村民」 集会を開きました。 労働者や支援のボランティアら約1,000人が参加し、国などに、「衣食住」 と雇用の確保を強く求めていくことを確認しました。

 神奈川県藤沢市のいすゞ自動車で派遣労働者として働いてきた男性(39)は、「日研総業の派遣として一年働いた。 次の仕事探しをしないと不安だったので大みそかに寮を出ました。 寮費や光熱水費を口座から引かれると、蓄えなどできず、テレビで 『派遣村』 のことを知って来ました」 と話しました。

 「派遣村」 実行委員会は厚労省に対し、 ▽ 衣食住の確保▽相談窓口の設置、 ▽ 「派遣切り」 「期間工切り」 を認めない緊急特別立法― などの6項目を要望してきました。

 昨年12月31日からはじまった 「派遣村」 は、当初の予想を大きく上回る人たちが 「村民」 登録したため、1月2日夜からは実行委員会の要請で、厚労省が講堂を開放。 講堂と公園内のテントには計約500人が宿泊していました。

 実行委員会によると、200人近い人が5日に生活保護の申請を行います。 同日には、厚労省要請や国会へのデモ、院内集会を予定しています。

「年越し派遣村」 で開かれた 「村民」 集会
=1月4日、東京・日比谷公園

 集会では、日本共産党の志位和夫委員長、民主党の菅直人代表代行、社民党の福島瑞穂党首、国民新党の亀井久興幹事長、新党大地の鈴木宗男代表が激励のあいさつをしました。

 また、日本共産党の小池晃参院議員(医師) は医療相談などの支援活動に取り組みました。

 衣食住と雇用… 野党が決議案   −国会冒頭提出へ−

 東京・日比谷公園の 「年越し派遣村」 で1月4日に開かれた 「村民」 集会に参加した日本共産党の志位和夫委員長と民主党、社民党、国民新党、新党大地の代表らは同日、1月5日召集される通常国会の冒頭に、非正規労働者の 「衣食住」 と雇用の確保、生活保護のすみやかな支給などを求める決議案を提出することで合意しました。

 与党にも呼び掛け、5日に衆参両院に提出できるよう調整を急ぐことで一致しました。



   宿泊所4カ所設置 … 実行委に厚労省

 「年越し派遣村」 の 「村民」 が1月2日から宿泊している厚労省講堂の使用期限の5日を控え、同省は4日夜、雇用契約を切られ住居を奪われた労働者らを受け入れる一時宿泊所を5日以降、東京都内4カ所に設置することを明らかにしました。 「年越し派遣村」 実行委員会が、厚労省とねばり強く交渉し、実現したものです。

 同日夜、同実行委員会が開いた集会で報告されました。

 厚労省は都内の学校施設など4カ所を開放し、「村民」 の一時宿泊施設として利用。 期間は12日までで、約500人が寝泊まりでき、食事も提供するといいます。 1人あたり10万円の一時金の貸し付けも実施します。

 包括的な相談窓口を都内の社会福祉協議会に設置します。

 雇用の確保でも、寮付きの求人を約4,000件あっせんするとしています。

 出典: 日本共産党発行の 「しんぶん 赤旗」 2009年1月5日付、   同党のホームページ

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 あたたかい支援に ホッと  
−「年越し派遣村」−

 日が落ちると急激に冷え込んだ1月4日の東京・千代田区の日比谷公園。 「人間としての誇りをズタズタにされた」 と訴える元証券マン。 「友人のところにいましたが限界です」 と、「年越し派遣村」 を訪ねてきた日雇い派遣で働く女性(28)…。 「派遣切り」 とたたかう仲間の連帯の輪が公園を囲みました。

 「川崎市の三菱ふそうを11月末に解雇された」 という男性(37)は、「25円しか持っていません」 といいます。

 男性は三菱ふそうで派遣労働者として働く2年半前までは、証券会社でサラリーマンをしていました。

 「証券会社で働いていたときは、睡眠時間は3時間から4時間。 家庭が崩壊し、会社を辞めて派遣に登録しました」

 派遣先では、トラックやバスのエンジンカバーを取り付ける作業。 「汚い」 「きつい」 「危険」 の3K職場でした。

 男性は 「駅頭で 『派遣村』 のビラをもらい、歩いてきました。

炊き出しの昼食に並ぶ「年越し派遣村」の人たち。 奥に見えるのが
宿泊用テント。
(一部画像処理しています)=1月4日、東京・日比谷公園

 ここにきて生活保護を申請しました。 もう失う物はない。 希望をなんとか手繰り寄せたい」 と、炊き出しの食事にホッとしていました。

 4日朝、「派遣村」 に着き、生活相談を受けていた男性(35) は、派遣社員として愛知県の自動車下請け工場で、部品の設計をしていました。

 「乗る人の安全を考え、厳しい要求にもこたえてきたのに、非正規雇用だということで切られた」 と、悔しさをにじませていました。 「いまの生活は精神的にも苦しい。 安定した暮らしがしたい」 と話しました。

 「日本にこんなあったかい心をもった人たちがいたことに救われた思いがします」 というのは、愛知県でトヨタ自動車の下請け工場で働いてきた27歳の男性派遣労働者。 「ネットカフェなどで新宿や池袋で生活してきましたが、手持ちのお金はゼロに等しくなって、ここに来ました。 東京なら求人があるだろうときたがだめでした。 支援者に出会えてよかった」

 青森県出身の日雇い派遣の女性(28)。 昨年3月ごろから仕事が減って、日雇いで働いてきました。 「友だちのところにいたのですが、友だちから 『派遣村』 のことを聞いてきました。 うつ病で働けません。 助けてください」 と、すがるように訴えていました。

 出典: 日本共産党発行の 「しんぶん 赤旗」 2009年1月5日付、   同党のホームページ

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