2004.11.29
神奈川地労委における審問「傍聴記」

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会社はまたも“あらさがし”に終始!  差別の事実を打ち消せず!!
2004.11.29 : 神奈川地労委第11回審問で、申立人((京浜)佐藤,(生技C)金子,
        (TMT&D:旧浜川崎)平松さん)に対する会社側反対尋問を傍聴して …(M 記)

 佐藤さんに対する会社側の反対尋問では…

 会社側は、佐藤さんに対し、『 タービンのガス抜きの改善を提案したのは他の人ではないですか?』 と質問しました。

 佐藤さんが、『 私が改善案を出し、実用新案を提案するとともに社内で30年もこの案が採用されてきたのです。その内容は… 』 と具体的に証言し始めると、会社側は 『 いや、いいです。』 と佐藤さんの証言をさえぎりました。

 会社側は、また別の質問をし、佐藤さんが証言を始めると、『 いいです、いいです。』 と証言をさえぎることしばしば。

 質問をしておいて途中で証言をやめさせる会社の尋問のやり方はおかしいと思いました。

 しかし、佐藤さんは、ほとんど全部の質問にくわしく丁寧に証言をしました。

 結局、会社側は佐藤さんの仕事の “あらさがし”、“たいした仕事はしてこなかった” と印象づけようとしたものの、佐藤さんの証言で逆に佐藤さんの高い知識と仕事の熱心さが浮き彫りになりました。

 しかも、会社側は佐藤さんに対する差別の事実は何ひとつ打ち消すことができませんでした。

 【佐藤さんの事後談】

『 驚いたことに、会社側は技師長 (技術の最高責任者) が書いたという書面を乙号証として審問の始まる直前に出してきました。
 技師長から私に関する書面が出たことはある意味で光栄に思いました。
 しかしそこには、「佐藤は外注業者の納期のフォローもしないため、自分たちが会議を何度も開いて納期を確保した」 という趣旨の記述がありました。 これは事実と全く違います。
 私もよく存じ上げているあの技師長がこの文書を書いたとはとても思えないのです。
 想像してもみてください。 博士や修士の肩書きを持つ偉い人たちがごそごそ集まって、頼まれもしないのに他部門の担当業務を 「ああでもない、こうでもない」 と議論している図はむしろ滑稽としか言いようがないでしょ?!
 だいたい外注業者の納期をフォローするのに会議を開いて行なうというような発想は、現場の実態を知らない人の発想です。
 こんなでたらめをよくも考え付くものだとあきれるばかりでした。


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 金子さんに対する会社側の反対尋問では…

 金子さんが社会保険事務所で 『 年金支給額が少ないですね』 と言われたことについて、会社側は、『 年金支給額が少ないのは、あなたの残業が少ないからではないですか?』 と、差別と低賃金に原因があるのを残業の多い少ないに原因があるかのように質問しました。

 金子さんは、『 私は必要なときは残業もして仕事をきちっとやってきました!』 と、会社側の愚問に反論する明快な証言をしました。

 また、会社側は、不良のウェハの写真まで出して、『 あなたの2000年度の評価が低いのはこういう不良を出したからでしょう?』 と質問。

 金子さんは、『 いいえ、私が特別に多いということではないはずです。職制を含めてさまざまなやりくりをしていました。』 と職場の実態を証言しました。
 そして、『 1998年に作業中にモニターがかすんで見えなくなり、気持ち悪くなってしゃがみ込む状態になって日赤病院に搬送されたことがありました。視力が1.2から0.5に下がり、“顕微鏡を使う仕事を続けることは身体的に無理だと思うので、仕事を変えてほしい” と言いましたが、受け入れてもらえませんでした。』 と、視力が急激に低下した当時の経過を証言しました。

 労働者側の弁護士は、『 当時57歳の金子さんが、“視力が落ちて顕微鏡を見ながらの作業を続けることは無理です” と言っているのに、そのまま同じ仕事を続けさせた会社の配慮のない冷たい対応は問題ですよ!』 と強く指摘しました。

 会社側はさらに、『 あなたは外出が多くて家にいることが少なかったようですね。』 と質問し、あたかも金子さんの私生活が乱れていたかのような印象を与えようとしました。

 それだけでなく、(小向)当時、勤労課の相賀(後に重役)らが労働者を次々呼び出しては 『金子を知ってるか』、『金子とは付き合うな』 と言って孤立化の攻撃を繰り返してしていたことについて、会社側は 『若い女性が多くいたので相賀さん達は親代わりのつもりで面倒みていたとのことですが…』 と、事実をごまかそうとするありさま。

 私は、プライバシーにかかわることまで平然と質問し、事実を歪曲して差別の実態をかくそうとする会社側の人権無視感覚と、私生活まで監視してきた労務管理のひどさに強い怒りを覚えました。


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 平松さんに対する会社側の反対尋問では…

 会社側は、メッキの教育テキストや、図面、工程図、作業標準書、多能化マップなどの証拠書類を当日出してきて、平松さんの仕事がいとも簡単な仕事であるにもかかわらず “図面も読めない、面積計算もできなかった” と印象づけようとする質問を繰り返しました。

 平松さんは、たまりかねて、『 こんな簡単な図面や部品の面積計算など常識的にできますよ! まるで人をバカにしたような質問じゃないですか!』 とピシャリ。
 支援する傍聴者の席から共感の拍手が起きました。

 さらに会社側は、本人申告、上長評価を経たものだとして提出した3枚の多能化マップを見せて、『 あなたの技量格付はDですね。それでいて作業長、製造長の役職を要求するのですか?』 と質問。

 ところが、この3枚の多能化マップは評価項目が全然違っていて信ぴょう性について紛糾し、むしろ証拠能力の乏しいものであることが明らかになりました。

 平松さんは、『 若い人を優先し私が希望を出しても資格を取らせてくれない。 私に対する差別は堀川町工場時代の25年を含めてずっと継続されてきたから、是正してもらいたいと言ってるんです!!』 と証言し、会社のこそくな “あらさがし” に怒りを込めて反論しました。

 これにも支援傍聴者の席から期せずして大きな拍手が起きました。
 会社側は、仕事の “あらさがし” に終始したものの、それに失敗しただけでなく、差別の事実を打ち消すことができませんでした。


 【平松さんの後日談】

『 審問の翌日、職場の人たちが待ち構えていたかのように、「昨日、どうだった?」 と聞かれ、いきさつを話したところ、「おかしな質問だよね。平松さんが何百万円もの損害を出したのなら別だけど、初めての仕事をすぐ覚えられないからと言って問題にするのはおかしい。覚えるまで丁寧に教えるのが当たり前だよね。」 と言ってました。』
                                                     以上


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