[職場だより]  2015年12月18日   東芝再生への道10

12.粉飾決算を止められなかった社風

 今回の粉飾決算を調査した「第三者委員会」の 報告書は、不適切会計の原因の一つに 「上司の意向に逆らえない企業風土があった」と 指摘しています。
 経営トップの無理な利益目標の指示に、異議を 申し立てられず、不正をズルズルと6年間も続けて しまった社風が、問題になりました。

 また、「労働組合は(粉飾決算などが起きない ように、日ごろから会社に対して)何をしていた のですか」という質問もたくさん寄せられました。
そこで、東芝の社風をあらためて検証してみました。

 いまから50年前、1960年代の半ばごろから、 東芝の経営側(会社側)は、労務対策の一つとして、 労働組合法に基づく自主的な労働組合活動を敵視し、 労使協調主義という呼び名の、会社の都合のよいよう に動く労働組合をつくるために、 労働組合を懐柔する方針をとりました。

 会社の意をくむように教育・育てた社員を 労働組合の役員にして行き、労働組合法の 理念に従って、会社から独立して 自主的に労働組合の活動をする社員を、排除 していきました。

 同じく1960年代の後半ごろから、会社は (元)公安警察官を雇い入れて、労務担当にし ました。これら(元)公安警察官の指揮のもとで、 東芝の各工場に社員を監視するための秘密組織 (インフォーマル組織)が作られました。
 インフォーマル組織に入り、監視活動をする 社員は、賃金や資格が上がり、出世につながる という優遇が行われました。

 1974年4月にはインフォーマル組織を全社 統一組織にして、「扇会」と呼ぶようになりました。  各工場の代表が定期的に集まり、合同研修会を 行なったり、「扇会」という機関誌を発行しました。
その内容は、いかにして自主的な労働組合活動を している社員や、(会社が一方的に)会社の意に そぐわないと判断した社員を排除していったかなどの、 反労働組合、反民主主義活動を鼓舞させる ものでした。

 1973年と1975年に東芝本社勤労部が作成した 「左派一般情勢と当社の現状(年間総括)」と いう秘密報告書には、全社37事業所における 問題者総数は「73年…530名」「75年…494名」 と記載し、全社員の思想信条調査を行っている ことを明らかにしいます。

 また秘密報告書の「対策と反省」の項目に、 「PMCD研修(課長候補研修)を主任、課長級に 行うなど、かなりの成果をあげた」と記載し、 職制を使って会社が一方的に問題者と呼ぶ、 自主的な労働組合活動をしている社員や、 会社の意にそぐわないと判断した社員などを、 排除していったことも明らかにしています。

 排除の方法は、賃金、資格、役職などを 異常に低く抑えて、差別しました。さらに、 差別を見せしめにして、他の社員を黙らせ 従わせるという、歴史的に日本の軍国主義 やナチス・ドイツと同類の手法でした。

 東芝は、一般社員にも教育を行い、会社の 意のままに黙って働く社員を作ってきました。 教育施設として、東芝府中工場は相模湖近くに、 東芝青梅工場は奥多摩湖近くに、研修所が ありました。終業後や休日に、社員を研修所に 集めて、泊まり込みで教育が行われました。
 教育内容は、労働組合法に基づく自主的な 労働組合活動の敵視や、個人の自由な考えの抑圧、 会社の意に従って働くことを強いるなど、 人権や法律を無視するものでした。

 その結果「出勤して東芝の門を入ったら 日本国憲法は捨ててこい」と言い放す職制が 生まれるほどでした。
 このような労務管理が続く中で、会社や 上司の意向に逆らえない社風が醸成されて いきました。

東芝の職場を明るくする会
連絡先  メール akaruku-tsb@kki.ne.jp