京浜事業所の雇用

2010年12月5日

人手不足解消に退職者をアルバイトで雇用  仕事が忙しい京浜事業所


 京浜事業所で行っている原子力発電機の生産は、好調な受注にささえられ、忙しい状態が続いています 。人手不足が続き、製造現場の作業員確保に苦労しています。
これまで派遣労働者を使ったり、製造を下請け会社に請け負わせたりして来ましたが、偽装派遣、偽装請 負などの問題があって、慎重に対応するようになり、十分に人手が確保できません。

 人手確保の手段として、京浜事業者の退職者などをアルバイトで雇用するようになりました。アルバイ トは東芝の直接雇用という形態になりますので、偽装派遣の問題は発生しません。

 東芝の正社員には詳細な就業規則があって、それによって管理が行われています。
どうやらアルバイトには、正社員に準じるような就業規則がなさそうです。それが分かったのは、たまた まアルバイトの方が私病でなくなられたとき、東芝として葬祭にどう対応するのか、花輪代を出すのかど うか、決まりがなくて職場があたふたしてしまったからです。

 都合よく使われるだけのアルバイトでは困ります。
携帯電話事業1

2010年10月17日

携帯電話事業を譲渡


 東芝は10月1日付けで携帯電話事業を富士通に譲渡しました。
東芝日野工場(東京日野市、最寄り駅JR中央線…豊田駅)から約300人が、富士通の グループ会社「富士通東芝モバイルコミュニケーションズ株式会社(川崎市中原区、 最寄り駅JR南武線…武蔵中原駅)」に移りました。

 携帯電話は、普及が隅ずみまで行き渡り、需要がいっきに下がっていました。 供給過剰状態が続き、メーカ間の競争がし烈を極めていました。各メーカとも 業績は赤字か、トントンの厳しい状態でした。
三菱電機は事業からの撤退、サンヨーは京セラに譲渡、カシオ・日立・NECが 合併するなど再編がすすんでいました。

 東芝もここ数年は赤字が続いていて、事業の譲渡先を探していました。 パナソニック、NECと譲渡交渉を行いましたが、いずれも条件が折り合わず まとまりませんでした。
富士通との譲渡交渉もすんなりとはいかず、決裂寸前でさらに東芝側が譲歩して まとまったとのことです。
繁忙の電産社

2010年10月13日

電産社、電力社の下請け会社は社員を急募


 電産社(電力流通・産業システム社)は鉄道車両などの生産、電力社(電力システム社)は発電システ ムなどの生産で忙しい状況です。

 電産社、電力社が入っている府中事業所では、製造請負会社が期間工の募集をしています。また近隣の 下請け会社でも仕事の増加にともない、パートタイマーなどの社員募集を行っています。

 電力流通・産業システム部門の2009年度の営業損益は779億円の黒字でした。
こんにちの組合役員事情

2010年9月15日

労組中央執行委員の退任慰労金


 10数年前に直接関係者からの話です。
退任した労組中央執行委員長には2,000万円の慰労金が支払われたそうです。 そのお金がどこから出たかは明らかにしませんでした。 (中央執行委員の慰労金については言及しませんでした。)

 退任した労組中央執行委員長は職場に戻り、課長待遇になりました。

 2,000万円は大きな金額です。
転勤を考える5

2010年9月9日

女性も単身赴任の時代


 単身赴任というと、これまでは男性の仕事というイメージがありました。 しかし東芝青梅工場(東京都青梅市)内の会社には、単身赴任で働いている 女性社員もいます。山形県に家族やお子さんを残して、たいへんなことと 思います。

 少しでも実家に近いところで働けるよう、労働組合のお力に期待しています。
スポーツ

2010年9月8日

東芝野球部 都市対抗野球大会優勝 おめでとう!


 9月7日(火)東京ドームで行われた、第81回都市対抗野球大会決勝戦で、東芝野球部は 北九州市代表チームに(2−0)で勝利し、優勝をしました。

 優勝に職場では、喜びの会話がはずみ、なごやかな雰囲気になりました。
転勤を考える4

2010年7月17日

山形に家族を残して単身赴任
帰る交通費の負担がたいへん

 東芝と富士通のハードディスクドライブ(HDD)事業が統合して、東芝ストレージデバイス 株式会社が昨年秋(2009/10)発足しました。富士通の労働者約600名が、山形県東根市や神奈川県 川崎市から、東芝青梅工場(東京都青梅市)に移ってきました。そのなかには家族を山形県に 残してきた、たくさんの単身赴任者がいます。

 残してきた親の世話などをするため、毎週帰らなければならない人もいます。山形に帰る のに交通費の負担がたいへんで、赤字とのことです。

 そこで帰る人たちが4人グループを作って、1台の車に乗り合わせるようにしたとのこと。 かかったガソリン代、高速道路代を割り勘にして、出費を節約しています。
管理職

2010年7月4日

中間管理職(部長、グループ長など)は激務
薬を飲みながら勤務、在職死亡も

府中事業所・青梅事業所(グループ会社も含む)の職場での話です。

 グループ長が薬を飲みながら働いているのを見て、部下の人たちが心配していました。 このグループ長は、いつも深夜まで残って働いて、過労から体を悪くしました。 時々グループ長は「痛いー!」と声を出して体に手をあてています。

 40代の部長の訃報を聞いた労働者が、「管理職の人が亡くなったのが、春から3人になるね」、「亡く なった原因はなんだろうね」、「管理職は会社のトップから、目標やノルマを追求されたいへんだ」と話 していました。
こんにちの組合役員事情

2010年6月27日

組合の職場委員、代議員になるには

 組合の規約上は、誰でも立候補して、選挙で選ばれればなれます。しかし現実は、 部長やグループ長などの上司から「職場委員、代議員になってください」と指示 されてなります。

 5年前、東芝青梅事業所の職制が作ったメモには、「職場委員、代議員にさせた 社員の評価は3年間は‘良’にする」と書かれていました。このメモは職制が、 会社の勤労部(担当)から受けた教育、または会議の席で書かれたようです。

 青梅事業所出身で取締役にまでなった幹部は、青梅事業所時代「組合役員をやって おけば出世に有利ですよ」と部下に話し、代議員になるように勧めていました。

 会社が選んだ人でないと職場委員、代議員になれないというのが現状です。 ほんらい労働組合とその役員は、労働者が自主的に運営し、選ばなくてならない のですが!(労働組合法)
転勤を考える3

2010年6月23日

転勤と家族

 Oさんは技術系で東芝に入社しました。したがって事業所・工場勤務で、そこで設計の仕事をして転勤はないと思っていました。

 最初に勤務したのは埼玉県内の事業所でした。ところが予想に反して神奈川県内の事業所に転勤になりました。さらにOさんは東京都内の事業所に転勤しました。
 家族は埼玉県に残したままの単身赴任が続いているとOさんは話しました。

 東京都内の事業所に勤務していたTさんは、2年前に片道6時間離れた事業所に単身赴任  しました。奥さんとの間が疎遠になってきたと心配しています。

家族との関係はとてもたいせつです。みんなで考えていきましょう。
裁量労働

2010年6月19日

残業が多いのでフレックス制にしたい

青梅事業所で働く社員の話です。

 Aさんは仕事が忙しくて、毎月80〜100Hぐらい残業が続いています。
Aさんの勤務形態は裁量労働制です。いくら残業しても、裁量労働手当てが付くだけです。
Aさんの裁量労働手当てを残業時間に換算すると40H弱です。

 Aさんは期初に、残業代がもらえるようにとフレックス制を希望しました。それにたいする上司の説明 では、「この職場は裁量労働制を勧めている」とのことでした。

 いくら残業してがんばっても、残業代がもらえないのでモチベーションが下がってしまうと、なげいて います。
転勤を考える 2

2010年6月5日

自宅を売って転勤したSさん

Sさんは参事にまでなった方です。

 Sさんは東京地区の事業所に勤務していて、住宅ローンでマイホームも買いました。そのSさんに静岡地区の事業所への転勤がきました。そのときの会社の説明や、事業の状況から考えて、再び東京地区の事業所に戻ってくることはないだろうと思えました。そこでSさんは自宅を売って転勤しました。

 ところが数年たったころから、市場の変化もあり事業が思わしくなくなりました。そして会社の方針もかわりました。Sさんは以前働いていた東京地区の事業所に戻ることになりました。

 マイホームはサラリーマンにとって、多大な買い物です。転勤とマイホームの問題は、悩み辛いことです。Sさんは、いまは東芝を退職されました。
転勤を考える 1

2010年6月1日
転勤があちこちの職場で行われるようになりました。 この問題について職場の声を聞いてみました。

一生平社員で過ごしたKさん

 東京地区の事業所で働いていたKさんが定年退職しました。Kさんは大卒で東芝に入社 しましたが、主務になることなく、平社員でサラリーマン生活を終えました。大卒は主務 になるのが東芝の標準です。

 Kさんは30代のとき転勤の話がありましたが、家庭の事情で転勤をことわりました。 それが原因でKさんは主務に成れなかったのです。

 転勤を断るとこうなるという、見せしめの人事でした。このことを職場の労働者は知って いましたが、誰も口にしませんでした。

 現在Kさんは元気に、庭の花の手入れをしたりして過ごしているそうです。
賃金について

2010年5月30日

賃金を計算してみました

 日本共産党東芝鶴見・タービン・浜川崎支部は、職場新聞 「『うみしば』 No.231、No.232」 を発行し、門前で配布しました。

 成果主義賃金になってから各自の賃金がバラバラになり、自分の賃金水準が分からないという声が 職場から上がっていました。今回、東芝労組新聞に掲載された春闘集約データを基にして、年齢ごとの 標準賃金と最低賃金を計算し、その結果をお知らせしています。

 職場で話題になっている、残業代あてにした生活のことや、通勤路のことなども載った職場新聞は、 毎回完配になっています。
こんにちの組合役員事情

2010年4月29日

春闘後の飲み会

以下の話は、数年前に会社の関係者から直接聞いたことです。

 春闘が終わった4月、労働組合の執行委員と会社の労務担当者は、慰労会をするのだそうです。春闘ご 苦労さんと言って酒を酌み交わすのです。

 団体交渉で「賃金を上げろ」、「いや応じられない」と激しく?やりとりしていたメンバーが、春闘が 終わったとたんです。
社会的道議からみていかがなものかと思います。

 会社の関係者の口からは「いまの組合(役員)は弱すぎるんですよ」と、哀れみともとれる言葉がもれ ました。

 組合役員について質問がよせられていました。春闘も一段落しましたので、回答を再開します。 これからも労働組合運動の発展・変化に役立つことを願って、これまでに知りえた組合の活動にかかわる 内容を適時、適切な文章でお知らせしていきます。
新年度 会社状況

2010年4月10日

2010年4月、新年度になりましたので、
カンパニーや事業所、工場のようすを聞いてみました。

電産社  事業は堅調(好調)です。府中工場の敷地に新たに技術棟、4階建てを建設しました。
東芝小向工場 それぞれの事業部門で、3月末での派遣社員の雇い止めが行われました。
京浜事業所
電力社
 インド、フランスなどの外国人が増えています。原子力発電機、火力発電機関連の実習生のようです。 回教徒の礼拝所を設けたとの話もあります。
 インドに火力発電機器を製造する工場を建設、5年間で150億円を投資します。
浜川崎工場  仕事は相変わらず繁忙が続いています。休日出勤が月に3〜4日、残業60Hの職場がたくさんあります。 残業99Hの職場もあります。
 社外講師を招いてトヨタカンバン方式の導入(生産性向上運動)の研修が、 グループ長クラスの職制を集めて行われています。講師の強圧的なもの言いに、時代遅れの軍事教練を感じます。
セミコン社  組織の再編が激しく大きく行われています。
 東芝LSIパッケージソリューション社(TPACS、1700名、福岡県、)のシステムLSI後工程部門を、大分工 場とジェイデバイス社(福岡県)に移設。TPACSから1300人が出向し、2010年11月に転籍になります。また 2010年11月には、メモリ後工程機能を四日市工場に移設します。
青梅事業所  カンパニーの分割、再編が行われて以下のカンパニーが誕生した。
  ・ビジュアルプロダクツ(VP社)
  ・ストレージプロダクツ(SP社)
  ・デジタルプロダクツ&ネッワーク社(DN社)
 これによって深谷工場に転勤する労働者が、たくさん出ます。現在青梅地域にマイホームを持っている 労働者からは、「どうしよう、単身赴任になるのかな」と不安の声が上がっています。

 富士通のハードディスク(HDD)部門と合併して誕生した、東芝ストレージデバイス社は、 3月末で派遣 労働者の雇い止めを、多数行いました。
モバイル社
日野工場
 携帯電話の普及がいきわたり、販売数の減少が続いています。2009年度決算も大幅赤字になりました (東芝に限らずどのメーカも苦戦)。
東芝ソリューション社  2009年度決算も黒字、不況のなかにあって善戦と言えます。
 東芝から転籍してきた社員の給料にあった補償給が段階的に減っていきます。給料が減ることに心配の声があがってい ます。
春闘、派遣問題

2010年3月15日

内部留保を賃上げにまわせ

 日本共産党東芝鶴見・タービン・浜川崎支部は、職場新聞 「『うみしば』 No.229、No.230」 を2月、3月と相次いで発行し、門前で配布しました。

 春闘について取り上げ、内部留保をわずかに使うだけで賃上げができことを明らかにし、労働者の闘いを激励しています。
 また派遣社員の雇用の形態や、定年雇用延長の待遇を具体的に述べて、問題点を指摘し、その解決を訴えています。

 門前配布をしたら、労働者の受け取り数がこれまでで一番多くなったとのことです。
春闘

2010年3月10日

現行賃金体系維持は必須

春闘の闘いも中盤、会社の主張や回答も具体的になってきました。
私たち組合の要求は「現行賃金体系の維持」です。
賃上げしろ(賃金制度を変えろ)と言っているわけではありませんので、会社として人件費の負担が増えるわけではありません。現行賃金体系が維持されないと、労働者は賃下げになります。

職場の声も「現行賃金体系の、年齢とともに上がる分は絶対必要」、また昨年のように「昇給を10月まで繰り延べされるのも困る」とのことです。
電機連合の闘争委員会の会議のなかで、「現行賃金体系の維持」に消極的な意見も出されたことについて、「闘争委員会はイニシアチブ発揮して、闘いを進めてほしい」との意見も出ました。
春闘

2010年2月24日

春闘によせる思いを聞きました。

●20代、男性、東芝グループ会社社員

残業もなくなり年収は300万円です。生活は苦しいです。以前のように職場の懇親会への出席も控えています。賃金を上げてほしいです。

本社・府中工場・青梅工場・日野工場で、月々の小遣いを聞きました。

●40〜50代、男性、東芝社員
1万円、1万5千円の人が多く、たくさんもらっている人でも3万円でした。
この金額でタバコ代も、職場の付き合い・飲み会などもまかなうとのことです。
みなさん「小遣いで使えるのは、この金額が限度」と答えていました。
派遣問題

2010年2月20日

昨年(2009年)東芝を解雇された 派遣労働者のその後を追いました

●40代(女性)事務系専門職、青梅工場と日野工場で20年勤務
青梅工場と日野工場で働きました。いまはハローワークに登録して、失業手当をもらいながら次の仕事を探しています。不安です。

●30代(女性)製造現場 青梅工場5年勤務
派遣社員として青梅工場の製造現場で働いていました。昨年の派遣切りで青梅工場、派遣会社を解雇されました。家族を抱えているので、ハローワークで仕事を必死に探しました。そして製造請負会社に就職しました。そしたら、その仕事が東芝青梅工場の、前いた製造現場でした。派遣会社から製造請負会社に変わっただけで、仕事は同じという結果でした。安定して働き続けたいです。

●50代(男性)技術系専門職、青梅工場25年勤務
東芝を解雇されて派遣会社に戻っています。次の仕事を待っています。賃金は3割カットになりました。
深谷工場繁忙

2010年2月3日

増産続く液晶テレビ

 東芝深谷工場(埼玉県)のハイビション液晶テレビ「レグザ(REGZA)」の製造ラインは、忙しい状態が続いています。
1月、2月、3月と右肩上がりの増産です。

 東芝日野工場(東京)からの製造応援も受け入れましたが、人手は足りなくて、現在期間工を募集しています。

 気になるのは、 派遣社員をどんどん切る一方で、忙しければ期間工を募集するという、このような雇用制度は、労働者が安心して働けません。見直していく時期ではないでしょうか。
映像事業強化

2010年1月11日

売り上げ好調
ハイビション液晶テレビ「レグザ(REGZA)」

東芝深谷工場(埼玉県)で生産しているハイビション液晶テレビの売り上げが好調で、工場は忙しい状態が続いています。
1月から深谷工場の製造応援に、東芝日野工場(東京)から33名が行きました。

デジタルメディアネットワーク社は、“高画質”機能と“録画”機能を充実させたハイビション液晶テレビなどの映像事業を強化するため、開発設計部門、生産部門などを深谷工場に、3月までに移転・集約します。

それにともない東芝青梅工場(東京)からもたくさんの社員が転勤します。

青梅工場から深谷工場までは電車で2時間30分ぐらいかかりますので、青梅地区からの電車通勤はできません。
転居できない人は、車での通勤になります。圏央道の青梅インターから乗り、関越道の花園インターで降り、一般道を深谷工場に向かいます。1時間以上かかるそうです。

30代の男性社員は青梅から通勤するそうです。毎日毎日高速道路を長距離走るわけですから、たいへんです。
50代の男性社員は「家が青梅にあるので、転勤するようだったら、会社を辞めざるをえない」と話していました。

転勤は社員に多大な負担をもたらします。